追憶…(例によって長文です)
明日から、だっしゅの12月アトリエ公演の稽古に復帰します。
私の経験の中では初・2本の芝居を同時進行で創るという今回の経験。
一番つらいのは、もしかしたら1本終わってから余韻に浸る時間があまりないことなのかもしれない。
私は、比較的「役が降りてくる」タイプの役者です。
1つの役を創っていると、日常生活もその役を通して物を見たり感じたり振る舞ったりすることが多い。
稽古場での態度も、役にひっぱられます。
子供役の時は実年齢やキャリアの差とか関係なしに甘えっ子になるし。
今回のように「先生」だと、妙に頼りになるキャラになろうとしたりする。
だから、並行して2人の役が自分の中にいるのはヘンな感じでした。
まったく違うタイプの役ですしね。
でも、そのうちの1人、チームまんまる公演「きとう-祈祷-」の東先生とはここでお別れです。
↑指示棒の先端が苺だったことに気がついてくださった方はいたでしょうか…。
お別れの前に、少しだけ追憶。
(これをのちに読み返すのが自分自身なによりの楽しみなのです)
もはや恒例、公演を観てくれた親友のオカザキユーコがレビューを書いてくれました。
出演者や、もしかしたら脚本家・演出家よりも鋭く深く分析して、さらに温かい視点でつづられる感想にはいつも感謝です。
ありがたい。
もう、ユーコの感想を読まずして芝居は締めくくれなくなっている私です。
というわけでコチラをどうぞ。
http://blog.pathologos.oops.jp/?eid=1419100
正直、私が「こんなストーリーの、こんなテイストのお話でした」って説明するより100倍わかりやすく伝えてくれる文章です。
ですので、おおまかなストーリー等はユーコのブログを読んで頂くとして(ひどい)。
チームまん○(何度も言いますが“まんまる”ですよ!)、主催の小山太郎さんに呼んで頂いての出演でした。
第3回の時も出演依頼を頂いていて。
それがスケジュール的に叶わなかったのですが、今回、また出演依頼を頂いて。
「今回予定が合わなくても、今後何度でもお誘いするので出てください」なんて言葉まで頂いて。
やっぱり基本、求められると弱いんです。
動物占い、頼られると嬉しいヒツジですから。
だっしゅへの立て続けの客演、そしてだっしゅの一員となってからの公演。
気がつけば、まる3年だっしゅ以外の舞台には出ていませんでした。
ここいらで、まただっしゅ以外の風を感じるのもいいかもしれないと思った。
そして、MC現場やナレーションのお仕事を頂いている身なので、稽古を最優先に調整することができません。
それでもいいよと言っていただける団体さんは、本当に貴重でありがたいんです。
その上で、さらにまんまるは稽古回数が異様に少ない団体でした。
当初の予定では全8回。
でも、最初の1回が諸般の事情で流れて7回になって。
そして最終的には2.5回の追加稽古があったので、9.5回。
でも、前半はだっしゅの稽古日と重なっていたため、途中で早退させていただくという環境でした。
正直。
本当にその稽古回数で1つの作品が仕上がるのか?
疑問でした。
私にはハンパない長台詞があったので、1回の稽古と稽古の間の1週間で、必死で覚えましたが。
他のみなさんには、演出から「台詞覚えていいですよ」とGOサインが出たのは、稽古残すところあと3~4回になってからでした。
…つくづく不思議なところです。
そして、稽古回数があと5回になったところで1人の男性キャストが降板。
代わりを探すか、役を一つ削るか…という段階になり、ダメ元でだっしゅの頼れる先輩・鈴木克彦さんに「これこれこういう事情なんだけど、一緒にやらない?」と聞いてみたところまさかのOK。
嬉しい半面、引きこんだ責任もあるしドキドキでした。
どちらに対しても、ね。
結果から言うと、いい引き合わせをできたと。
ホッと胸をなでおろした次第です。
双方に感謝です。
結局、稽古は少なくても仕上がるんだと。
そうなると、やはり他の団体での稽古に対する取り組み方も、また考えなければいけないと思うこともありました。
もっともっと、集中しなくちゃな。
そうそう、今回の登場人物、基本的に名前が山手線の駅なの、気がつきましたか?
(新大)久保、大塚、上野、高田(馬場)、神田、品川、浜松(町)。
1人だけ、茨城から転校してきた「常盤」は常磐線らしいです。
名前は出てきませんでしたが、教頭先生は「田端」でした。
そして、私は「東」。東京です。
さて、今回いただいた「東先生」。
(“あずま”です。“ひがし”じゃないですよん)
一番最初は「ラスボス」と言われていました。
生徒達を押さえつける、敵役の教師たち。
果たして、最終的に倒されるラスボスなのか。
もしくは、敵わないまま終わるラスボスなのか。そこらへんはまだ未定と言われていましたが。
でも、いつのまにか圧倒的な力で押さえつけるのは教頭で、
東は、ある程度の理解や、生徒からしても「あれ、この先生はもしかして…?」と感じさせる美味しい役どころに。
終盤、泣き崩れる神田さんとの短いシーンは、素晴らしい照明にもパワーをもらって、短いながらなかなか名シーンになったのではないかと!!!。
自画自賛にもなってしまいますが。
「反省文…書けるな?」のところです。
あの時の明かりは本当にカッコよかった!!
それでもラストシーンは二転三転。
個人的には、一番最初に貰ったラストシーンをもうちょっと整理したバージョンでもやってみたかった。
最初は、もっともっと、本当にたくさんのメッセージがぎゅうぎゅうに詰め込まれたラストシーンを貰っていたのです。
生徒1人1人の問いに対して、そのメッセージを伝えていく東、というエンディングがあったのです。
ぎゅうぎゅうすぎて、若干支離滅裂になっていましたが。
でも、その仮のラストシーンを貰っていたから、東の、本当に生徒に対して想っている心のうちをより深く知ることができました。
そこで知った東の心情を、残されていた台詞や、仕草や、表情でどうやって伝えたらいいか。
お客さんがとても近い劇場だったので、表情や視線の運び方でも伝えられるんじゃないか。
いろいろ試行錯誤できました。
そして、やっぱりあのラストで良かった。
久保君と神田さんのストーリーになったほうが、物語としては絶対に良かった。
久保君が、校庭で神田さんに対する想いをひたすらに熱く叫ぶシーンは稽古場でやっていた時からもトリハダものでしたが、
劇場に入って明かりと音が入って、毎回毎回のその叫びの声に、幕裏で胸をうたれました。
感情めいっぱいでの絶叫。
千秋楽まで、久保君の声が持つのか。いや、持ってくれ。
全員の願いであり、懸念でした。
そこで、千秋楽までの計算をして声の配分をしてしまう役者ではないところが、久保君の、いやハマーさんの魅力だと思います。
私は計算しちゃうタイプ。つまんない、でも安全な方の役者です。
あのシーン、アルマ○ドンのテーマがかかった時から。
幕裏にスタンバイしてる共演者の全員が、手を合わせ祈っていました。
声が持ってくれ。
そして、久保君の想いが届いてくれという願い。
それが、実は今回の芝居のタイトル「きとう-祈祷-」だったのかもしれないです。
なんて、ちょっとうまいことまとめてみた。
稽古回数は少なく、その上全員がそろって稽古出来たことが本当に2~3回くらいしかなくて。
その分、劇場に入ってから急速に仲良くなり、急速に結束が高まりました。
みんないい役者さん、いいスタッフさんで、いい人たちでした。
だからこそ、またそれぞれの場所に帰っていく感覚はさびしい。
でも、今回の縁はまたきっとつながっていくから。
次また今回のメンバーと舞台上で会うことも、きっとあると思います。
そのときまで、また自分自身成長していなくっちゃな。
生徒達に追いてかれるような東先生じゃダメですもんね。
長文にお付き合い頂いて、ありがとうございました。
さあ!明日からはだっしゅ!
2036年の高校から、1936年の上海に舞い戻ります。
私の経験の中では初・2本の芝居を同時進行で創るという今回の経験。
一番つらいのは、もしかしたら1本終わってから余韻に浸る時間があまりないことなのかもしれない。
私は、比較的「役が降りてくる」タイプの役者です。
1つの役を創っていると、日常生活もその役を通して物を見たり感じたり振る舞ったりすることが多い。
稽古場での態度も、役にひっぱられます。
子供役の時は実年齢やキャリアの差とか関係なしに甘えっ子になるし。
今回のように「先生」だと、妙に頼りになるキャラになろうとしたりする。
だから、並行して2人の役が自分の中にいるのはヘンな感じでした。
まったく違うタイプの役ですしね。
でも、そのうちの1人、チームまんまる公演「きとう-祈祷-」の東先生とはここでお別れです。
↑指示棒の先端が苺だったことに気がついてくださった方はいたでしょうか…。
お別れの前に、少しだけ追憶。
(これをのちに読み返すのが自分自身なによりの楽しみなのです)
もはや恒例、公演を観てくれた親友のオカザキユーコがレビューを書いてくれました。
出演者や、もしかしたら脚本家・演出家よりも鋭く深く分析して、さらに温かい視点でつづられる感想にはいつも感謝です。
ありがたい。
もう、ユーコの感想を読まずして芝居は締めくくれなくなっている私です。
というわけでコチラをどうぞ。
http://blog.pathologos.oops.jp/?eid=1419100
正直、私が「こんなストーリーの、こんなテイストのお話でした」って説明するより100倍わかりやすく伝えてくれる文章です。
ですので、おおまかなストーリー等はユーコのブログを読んで頂くとして(ひどい)。
チームまん○(何度も言いますが“まんまる”ですよ!)、主催の小山太郎さんに呼んで頂いての出演でした。
第3回の時も出演依頼を頂いていて。
それがスケジュール的に叶わなかったのですが、今回、また出演依頼を頂いて。
「今回予定が合わなくても、今後何度でもお誘いするので出てください」なんて言葉まで頂いて。
やっぱり基本、求められると弱いんです。
動物占い、頼られると嬉しいヒツジですから。
だっしゅへの立て続けの客演、そしてだっしゅの一員となってからの公演。
気がつけば、まる3年だっしゅ以外の舞台には出ていませんでした。
ここいらで、まただっしゅ以外の風を感じるのもいいかもしれないと思った。
そして、MC現場やナレーションのお仕事を頂いている身なので、稽古を最優先に調整することができません。
それでもいいよと言っていただける団体さんは、本当に貴重でありがたいんです。
その上で、さらにまんまるは稽古回数が異様に少ない団体でした。
当初の予定では全8回。
でも、最初の1回が諸般の事情で流れて7回になって。
そして最終的には2.5回の追加稽古があったので、9.5回。
でも、前半はだっしゅの稽古日と重なっていたため、途中で早退させていただくという環境でした。
正直。
本当にその稽古回数で1つの作品が仕上がるのか?
疑問でした。
私にはハンパない長台詞があったので、1回の稽古と稽古の間の1週間で、必死で覚えましたが。
他のみなさんには、演出から「台詞覚えていいですよ」とGOサインが出たのは、稽古残すところあと3~4回になってからでした。
…つくづく不思議なところです。
そして、稽古回数があと5回になったところで1人の男性キャストが降板。
代わりを探すか、役を一つ削るか…という段階になり、ダメ元でだっしゅの頼れる先輩・鈴木克彦さんに「これこれこういう事情なんだけど、一緒にやらない?」と聞いてみたところまさかのOK。
嬉しい半面、引きこんだ責任もあるしドキドキでした。
どちらに対しても、ね。
結果から言うと、いい引き合わせをできたと。
ホッと胸をなでおろした次第です。
双方に感謝です。
結局、稽古は少なくても仕上がるんだと。
そうなると、やはり他の団体での稽古に対する取り組み方も、また考えなければいけないと思うこともありました。
もっともっと、集中しなくちゃな。
そうそう、今回の登場人物、基本的に名前が山手線の駅なの、気がつきましたか?
(新大)久保、大塚、上野、高田(馬場)、神田、品川、浜松(町)。
1人だけ、茨城から転校してきた「常盤」は常磐線らしいです。
名前は出てきませんでしたが、教頭先生は「田端」でした。
そして、私は「東」。東京です。
さて、今回いただいた「東先生」。
(“あずま”です。“ひがし”じゃないですよん)
一番最初は「ラスボス」と言われていました。
生徒達を押さえつける、敵役の教師たち。
果たして、最終的に倒されるラスボスなのか。
もしくは、敵わないまま終わるラスボスなのか。そこらへんはまだ未定と言われていましたが。
でも、いつのまにか圧倒的な力で押さえつけるのは教頭で、
東は、ある程度の理解や、生徒からしても「あれ、この先生はもしかして…?」と感じさせる美味しい役どころに。
終盤、泣き崩れる神田さんとの短いシーンは、素晴らしい照明にもパワーをもらって、短いながらなかなか名シーンになったのではないかと!!!。
自画自賛にもなってしまいますが。
「反省文…書けるな?」のところです。
あの時の明かりは本当にカッコよかった!!
それでもラストシーンは二転三転。
個人的には、一番最初に貰ったラストシーンをもうちょっと整理したバージョンでもやってみたかった。
最初は、もっともっと、本当にたくさんのメッセージがぎゅうぎゅうに詰め込まれたラストシーンを貰っていたのです。
生徒1人1人の問いに対して、そのメッセージを伝えていく東、というエンディングがあったのです。
ぎゅうぎゅうすぎて、若干支離滅裂になっていましたが。
でも、その仮のラストシーンを貰っていたから、東の、本当に生徒に対して想っている心のうちをより深く知ることができました。
そこで知った東の心情を、残されていた台詞や、仕草や、表情でどうやって伝えたらいいか。
お客さんがとても近い劇場だったので、表情や視線の運び方でも伝えられるんじゃないか。
いろいろ試行錯誤できました。
そして、やっぱりあのラストで良かった。
久保君と神田さんのストーリーになったほうが、物語としては絶対に良かった。
久保君が、校庭で神田さんに対する想いをひたすらに熱く叫ぶシーンは稽古場でやっていた時からもトリハダものでしたが、
劇場に入って明かりと音が入って、毎回毎回のその叫びの声に、幕裏で胸をうたれました。
感情めいっぱいでの絶叫。
千秋楽まで、久保君の声が持つのか。いや、持ってくれ。
全員の願いであり、懸念でした。
そこで、千秋楽までの計算をして声の配分をしてしまう役者ではないところが、久保君の、いやハマーさんの魅力だと思います。
私は計算しちゃうタイプ。つまんない、でも安全な方の役者です。
あのシーン、アルマ○ドンのテーマがかかった時から。
幕裏にスタンバイしてる共演者の全員が、手を合わせ祈っていました。
声が持ってくれ。
そして、久保君の想いが届いてくれという願い。
それが、実は今回の芝居のタイトル「きとう-祈祷-」だったのかもしれないです。
なんて、ちょっとうまいことまとめてみた。
稽古回数は少なく、その上全員がそろって稽古出来たことが本当に2~3回くらいしかなくて。
その分、劇場に入ってから急速に仲良くなり、急速に結束が高まりました。
みんないい役者さん、いいスタッフさんで、いい人たちでした。
だからこそ、またそれぞれの場所に帰っていく感覚はさびしい。
でも、今回の縁はまたきっとつながっていくから。
次また今回のメンバーと舞台上で会うことも、きっとあると思います。
そのときまで、また自分自身成長していなくっちゃな。
生徒達に追いてかれるような東先生じゃダメですもんね。
長文にお付き合い頂いて、ありがとうございました。
さあ!明日からはだっしゅ!
2036年の高校から、1936年の上海に舞い戻ります。
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