2018年6月10日。
平成最後の私の誕生日に、母方の祖母が95歳で急逝しました。
お別れと火葬をすませて、帰京する飛行機の中でこの文章を書いています。
葬儀はこの後、密葬にて行う予定ですが、供花やお香典などは一切遠慮させていただきたいと思っております。
おくみとりいただければ幸いです。
当日は日曜日なので、キャラショーMCの現場があり、その後、本番を2週間前に控えただっしゅ本公演の稽古に向かい、終わりかけたその時に訃報が飛び込んできて。
その日はもう時間も遅く、動けなかったので、翌日の飛行機で北海道へとび、霊安室に眠る祖母と対面しました。
うっすらとお化粧もしてもらっていて、穏やかで本当に眠っているかのようでした。
ショートステイでお世話になった先での
急性心不全。
朝は珍しく食欲がなかったようですが、ショート先での食事はニコニコとよく食べて、いつもどおりパジャマに着替えて、スタッフの方にもありがとうありがとうとお礼を言って。
ほんのひととき、スタッフの方が目を離した間に、ベッドに座ったままで心臓が止まっていたそうです。
糖尿と認知症が出て、もう何年も体調のよい時期とわるい時期を繰り返していました。
主に介護をしている母とともに、北海道と埼玉の家で半々で暮らす日々でした。
食事と、お手洗いに行くときの歩行はギリギリ杖をつけば自力でいけるくらい。
一瞬前のことは忘れてしまうけど、家族のことが誰かわからなくなったり、徘徊をしたり、攻撃的になったりはせず、穏やかにニコニコと過ごすとても可愛いおばあちゃんになっていました。
(母いわく、若いときはそんなに穏やかな人ではなかったとのことですが)
遺影は、今年の4月、北海道へ向かうフェリーで撮った写真です。
本当いい笑顔をしています。
訪問看護やデイケアのスタッフの方にも、誰からも「可愛いおばあちゃんですね」と言ってもらえる、美肌自慢の祖母でした。
昔の写真なども見返していたのですが、10年前よりも今のほうが確実にシワも少なく、ツヤツヤのお肌をしていました。
外に出なくなって紫外線にあたらなくなったからでしょうか。
京都で寒暖計屋のお嬢さんとして生まれ、同志社の女学校を出て九州生まれの祖父に嫁ぎ、四国、九州、埼玉とうつりすみ、戦争も乗り越えて。
まさか最期を北海道で迎えるとは。日本縦断したね、ばあちゃん。
祖父が亡くなったのは私が専門学校での初舞台の本番の2日前。
そしてこんどは祖母が私の舞台本番の2週間前、しかも私の誕生日に亡くなるなんて。
でも1週ずれていたら私はこうやって会いにはこれなかったわけですし、これから毎年誕生日のたびにばあちゃんのことを思い出します。
母に、おばあちゃんはあなたに忘れてほしくなかったのよ、と言われました。
そんな凝ったことしなくても、忘れないよばあちゃん。
私が二十歳くらいからの十数年をほとんど祖母と2人暮らしで過ごしてきました。
芝居を始めて、声優やMCの仕事を始めて、帰りが遅くなる日も多々あったけど、たいていは起きて待っていてくれました。
私が辛いことがあってベソかきながら帰ってきたら、抱きしめてかわいそう、かわいそうねと撫でてくれました。今夜はおばあちゃんと一緒に寝る?と言われて、おばあちゃん、もう大人だよと笑ってしまいました。
1日だいたいは居間のコタツに座って、私たちが現れると「美味しいお茶をいれようね」とお気に入りのお取り寄せの緑茶を煎れてくれました。
生け花の師範の免状をもっていて、季節季節で玄関に艶やかな花を活けてくれました。
今の季節ならきっと、水鉢に沈む紫陽花だったかな。
刺繍もやっていて、私が苺が好きだからと、苺の図案でティッシュケースに刺繍をしてくれました。
とても真面目で几帳面な性格だったのですが、大雑把なところのある私や母に、それは長所だとほめてくれました。
私たちが小さい時は、両親はフルタイムで共働きだったので、病気になって保育園や小学校へ行けないと、かけつけてそばにいてくれました。
熱っぽい夢から覚めると、台所におばあちゃんが立ってくれてたこと、まだ思い出します。
長いお休みは祖父母宅に預けられていましたので、春休みには毎年、兄と私をドラえもんの映画に連れて行ってくれました。
大きくなってから「おもひでぽろぽろ」を映画館で一緒に観たとき、「アニメでも面白いのもあるのねぇ」と言っていて、ドラえもん映画は面白くなかったんだね、と二人で笑いました。
家族の世話を焼くことが人生のメインだったおばあちゃん。
認知症が進んでからは、お世話をされる側になったけれど、最後まで私に対しては比護をする側でいてくれました。
私が会いにいくと「嬉しいねぇ、嬉しいねぇ」と本当に喜び、帰るときは「さびしい、さびしい」とポロポロ涙をこぼし
私はもういい年をした大人ですが、ばあちゃんのそばにいるときは小さい子供でいられました。
糖尿がひどかったから大好きな甘いものは普段は食べられないけど、毎年お誕生日にケーキをひとかけらだけ食べて
次の目標は平成の次の元号まで!そしたら大正・昭和・平成と四時代生きることになるよ!
その次は2020年の東京オリンピック!
そしたら次は目指せ100歳だねー!頑張ろう!
そんなことを話すと「がんばれるかねぇ。がんばろうねぇ」とニコニコしてくれていました。
ばあちゃん、がんばったね。
ほんとにがんばったね。
ずっと、ずっと味方でいてくれてありがとう。
長生きしてくれてありがとう。
ばあちゃんから教えて貰ったもの、
引き継いだもの、
ばあちゃんのおかげで好きになったもの、
全部大切にして生きていきます。
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